2012年9月30日日曜日

日本語の文書を英語でそのまま訳しちゃいけない…?


-- Anne Yeung アン.ヤング

この間、私はLJ451のクラスで田山花袋の短編《少女病》を英語で読みました。このストーリは37歳の男の趣味は電車で女子高校生の姿を観察するの話です。男はいつも電車で少女たちをじろじろ見て、心の中にあの少女たちの美しさとかわいさを絶賛している。その男は別に変な妄想はしないが、もし自分がもっと若いなら、友達になれるかもしれないっていつも考えてる。しかし、あの男には妻と子供もいる。だから他人の目であの男は少し変態に見える。私は英語でこのストーリを読んでるとき、この男はすごく怖い、変態すぎると思いました。だけど、クラスで日本語でもう一度読む時、使い言葉がきれいで、不安の気持ちはなかった。ここでちょっと例を見せたいと思います。

英語:Taking advantage of the crowd of passengers and the glass between he poured his heart, his very soul into her beautiful figure, with her white neck, her black hair, her olive ribbon, her dainty white fingers, her gold, jeweled ring.
日本語:白い襟首(えりくび)、黒い髪、鶯茶(うぐいすちゃ)のリボン、白魚のようなきれいな指、宝石入りの金の指輪――乗客が混(こみ)合っているのとガラス越しになっているのとを都合のよいことにして、かれは心ゆくまでその美しい姿に魂を打ち込んでしまった。

私は日本語のほうがその女の子の美しさを表現できると思う。その男がほんとに心からその女の子の美しさを感心してると思う。でも英語の訳はなぜがちょっと不気味で、ただ変態が電車できれいな女のこをじろじろ見てるイメージしか見えないと思いました。

クラスメイトからもう一つの例をいただきました。日本の映画のセリフ、私はあなたのことずっと見ていたが英語の訳で I have always been looking at you”になった。本来はローマンティックのセリフなのに英語でそのまま訳するとすごく変な意味になりました。ちょっと台無しと思いましたけど、面白かった。みんなさんはどう思いますか?

川上弘美の作品

にわとり地獄とスナック愛は同じ川上弘美の作品だが読んだ後の感じは違います。にわとり地獄のは寂しくて残酷な短編でスナック愛は面白くてあたたかい短編と思っています。にわとり地獄に現実的なことを書いたので、寂しさと残酷の感じられるだろう。例えば、若いものは都市に通っていたり、「強いのが、弱いのをつつく」を書いたり、戦争の恐ろしさを書いたりします。しかし、私とって一番寂しいことはナレータが最後にトピックを変えてケーキ屋の話したことです。それは、ナレータでも自分の子供の時の思い出から離れたんです。一方、スナック愛の変だが娘のことを愛しているおばさんの日常生活は面白くて暖かい気持ちを感じられます。スナック愛を読んでいる時、おばさんの生活が厳しいと思っておばさんにアドバイスをあげたくなりました。例えば、スナックより喫茶店を経営した方がいいと思いました。この二つの短編は同じ作家が書かれただ違い感いが出てくる。これは川上弘美の特別の点だと思います。

イバ リー

好みに会う文体

私は日本の文学作品を読んだことはないのでアメリカのに比べるとやはり日本の文学作品はとっても違います。今まで勉強した著者の中で多和田葉子の文体にもっ見とれてしまいました。特に「犬婿入り」が好きでした。登場人物の風変わりさにちょっとびっくりされた。物語の主人公の北村先生変がキャラクターけど、何やら彼女に教えられた塾は近所のお母さん達の中に、すごく人気があります。北村さんはちょっと変態みたいと、子供に汚いことについて教えます。それに、いいぬまさんは突然に筋に入り、その二人の関係はものすごく変で、彼は犬みたいけど、北村三の好み通りだそう。最後に、いいぬまさんが突然に現れたように失せました。多和田葉子の文体はそのように怪奇で魔法のようなのです。だから、多和田葉子の文体が私の好みに合います。

チェルシー 

2012年9月29日土曜日

川上弘美の文体 - チン・チュウ

村上春樹と多和田葉子の文体にくらべたら、川上弘美の文体は神秘的だと思います。川上の短編小説では、現実の境界線が過ぎ行きます。たとえば、「うごろもち」のナレーターは川上ではありません。ナレーターは必ずしも人間でもありません。ナレーターが実は「モゲラヲグラ」という種類の動物です。これは、絶対に見込んでいませんでした。現実の世界にモグラヲグラがもちろんいないのに、「モゲラ」というナレーターは現実的に描かれました。ナレーターは人間ではないのに、彼の気持ちが良く分かります。「うごろもち」の中には、人間が実は一番変な生き物です。 毎日泣いてばかりです。文句を付けてばかりです。私はモグラヲグラになったら、今より幸せになるでしょうか?

チン・チュウ

2012年9月24日月曜日

村上春樹の文体


このクラスをとる前に、私は日本の小説を読んだことがなくて、日本の作家のことでもあまり分かりませんでした。村上春樹を読み始めた時、一番面白かった物は村上春樹の文体のことについての面接と批評でした。この批評では、いろんな人が村上は本当な日本の作家ではないと言いました。村上の物語と批評を読んでから、私は同じません。村上の文体は伝統的な日本の文体と比べたらもっと直接的であまりリッチで強い言葉を使わないけれども、日本人で日本に生まれたのでまだ本当の日本の作家だと思います。日本で小さい時から生活をしていたので、日本人の考え方や文化を持っています。この日本的な考え方は村上の小説に現れるので私にとっては、村上は日本的な作家です。

タンゼン 桜